クロノス☆生き残りを賭けた「新メニュー」はじめました

2024年4月、日本がまた一歩破滅に向かって踏み込んでしまったようです(-_-;)

北方三国志を6巻まで読んで「ヤン・ウェンリーのモデルが諸葛亮」について書いてみる

諸葛亮孔明)が登場してまだ序盤なのだが、「これは違うだろう」というところが既に何点か見えてきている。登場シーンでは、理路整然とした喋りとか、年齢とか、外見の雰囲気とか…「しまった、これは本当にモデルかもしれない。思いっきり否定したのを訂正せねばならないかも;」と思った。

 

けれど、劉備が語る「志」に反応したあたりから、「やっぱり違う」と思えた。結局、それで士官したわけだし。

 

孔明は、晴耕雨読の日々の中で「こんなの俺の生き方じゃない~!」と戦場に入った人で、ヤン・ウェンリーは「戦場は嫌いだから年金もらって晴耕雨読の生活をしたい!」と本気で望んでいた人で、そのあたりからしてベースが異なるのよねぇ。

 

「戦略」や「戦術」に関しても、まず孔明ヤン・ウェンリーが絶対にやらない策を講じてる。樊城から十万の民を伴って江陵に向かったあれよ。民を囮にするという手をヤンは絶対に打たない。だって、この戦略(戦術か?)相当エグイから魯粛でさえ「まさか仕掛けたわけじゃないよね? 成り行きだよね? いや、やっぱやりやがったな…怖いぞ、この男」的な反応してたし;  

 

ラインハルトはヴェスターラントで民を見殺しにしてるけど、孔明の行動原理はそれと一緒かな。「天下を取る」という志があるかないかで行動は大きく変わる。もっとも、ラインハルトは罪の意識を拭えなかったけどね。

 

戦争中は綺麗ごとが通じる世界じゃないけど、今の戦争みたいに「金」しか見えないよりは「志」の存在する戦争の方がまだマシ。今の戦争は「金」のために民を虫けらのように殺してる。(今現在進行の話だよ。今この意味がわからなくても1~2年後にはわかると思うよ。わからないで済めばそれに越したことはないけど)

 

それから、ここまでで「漢王室」という存在がとても大きいことが興味深い。「権力は持たせず権威として中心になるべき」というのがラインハルトと真逆の思想。もっとも、銀河帝国のゴールデンバーム王朝は歴史やら神話やらという深さは持ってないから、そんなものの威を借る連中が偉そうにしてたら私だってぶち壊したくなる。

 

三国志は色んな人の作品を読み比べてみたいな。特に北方さんは好き嫌いをはっきり書き分ける人だから、初めて読むのが北方作品だとそのイメージがそのまましみ込んでしまう。『破軍の星』では新田義貞が結構ボロカスだったよw ただ、新田義貞はある程度知っていたので庇いながら読んでたけど。今回はまったく知らない「孫権」あたりで北方評価が反映しそうなので、別の作品も読んでバランス取らないといかんのだ。

 

読書が楽しい。晴耕雨読の生活をしてみたいものだ(-.-)