クロノス☆生き残りを賭けた「新メニュー」はじめました

2024年4月、日本がまた一歩破滅に向かって踏み込んでしまったようです(-_-;)

【アーロン・ブシュネル】命を燃やした抗議に「至るまで」と「その後」も知ってほしい

*この記事では抗議行動の「動画」は直接表示しないようにしていますが、貼ったポストの中に「画像」はあるのでご留意ください*

 

あまりに衝撃的で記事にできなかった。

 

最初にその画像を見た時は「コラだ」と断定してスルーした。人間が炎に包まれて毅然と立っていられるわけがないという思い込みからの判断。それが「本当に起きた事」だと認識したのはその翌日だけど、呑み込むのに時間がかかった。

 

すぐに記事にしようと思ったのだが、果たしてその動画や画像をアップしていいのか迷った。ウクライナ戦を発信している女性大垢さんが「私は見れなかった」と言っていたので、安易に動画を貼っていいものではないと理解した。

 

まず、文字で表現しているアカウントさんのポストを貼らせていただこう。

 

翻通訳歴が20年以上の方なので、文章のクオリティが高く情景も浮かぶと思う。ちなみに炎に包まれた人に向かって非情に銃を構えていたのはこいつ↓ イスラエルSPとのこと。アメリカ人警察官は必死で火を消そうとしていた。

 

 

 

アーロン・ブシュネルの声を直接聞きたい方は下記の記事から視聴できる。ここに貼ってある動画は点火後にモザイクがかかる。

US solider dies of self-immolation in protest of war on Gaza – Mondoweiss

 

私も初めはモザイクの動画を見ていた。けれど、モザイクで声だけ聞くよりモザイクなしの動画の方が気持ちは楽になった。彼の意識が苦しみよりも「思いを叫び続ける」ことに向いていたのがわかったから。身体のコントロールができなくなる際まで彼はメッセージを叫び続けた。

 

残念ながらモザイクなしの動画は削除されてしまったようだが、今後機会があったら是非みていただきたいと願う。

 

【抗議に至るまでのアーロン・ブシュネル】

 

まず彼は心優しい慈善家だった。

 

 

 

「彼は私がこれまで知った中で最も原則的な同志の一人です」とブシュネル氏と協力してサンアントニオの住宅のない住民を支援したザイレム氏は語った。 「彼はいつも、どうしたら実際に笑顔ですべての人々の解放を達成できるかを考えようとしているんです」とエリコさんは語った。 by Google翻訳

 

始めは「こんな人柄だから間接的であっても虐殺に加担している自分が許せなくて葛藤の末のある意味逃避的な行動なのだろう」と考えてしまったのだが、それは彼に対しては失礼すぎる決めつけだった。 

 

彼は「パレスチナを解放したい」という強い意志で活動している人だった。

 

 

下がどこからの引用かわからないのだが、この言葉が本当であれば彼には「こういう方法で訴えること」が当たり前に選択肢にあったとも思われるし、実際、彼が取った行動は暗闇に光を投げかけるものだった。

 

その思いがパレスチナの子ども達に向いていたことはここからも窺い知れる。

 

 

【アーロン・ブシュネルが暴いた爆弾級情報】

 

 

これを知った時の彼のショックは想像に難くないし、これが焼身抗議を決行させたのではないだろうか。

 

これはもう確実にパレスチナにデルタフォースが居るね。間接的どころか直接的に手を下している。パレスチナを思う米兵に耐えられるはずがない。やっぱりイスラエルアメリカはセットだ。両方とも潰さないとダメだね。

 

【反響】

 

 

 

 

 

 

2003年、ラファでシオニストのブルドーザーに押しつぶされたアメリカ人活動家レイチェル・コリー

 

 

左がレイチェル・コリー。ブルドーザーで潰されたことからシオニストどもは彼女を「パンケーキ」と揶揄して嘲笑した。そして今回も…

 

モサドのコメント↑

「バーベキューしたい人居る?」↑

 

総体的には「精神的におかしい」という方向性で片付けようとしているようだが、

 

 


彼の遺灰がパレスチナの土地の土となり、子ども達の笑顔に囲まれる日が一日も早く訪れるように、私は私ができることを積み重ねていく。ほんのわずかでも彼が燃やした光を受け継いで暗闇を照らしたい。

 

最後にこのポストの画像集は救い。一瞬炎に包まれた彼の画像が出るけれど、その表情を見たらすさまじいまでの「意志」がわかる。天が彼の声と意志を受け止めてくれたと信じたい。