「プーチンさんの歴史講座」が難しすぎてなかなかアップできずにいるが、「言ったことは必ずやり遂げる!」という中東の抵抗枢軸のポリシーに感化されたので、ちょっとがんばってみる。
とりあえす、ShortShort Newsさんの動画と青山貞一先生の注釈つき完訳を参考に、下にまとめておいた。
お二人の訳に関しては(当然ながら)内容は同じだけど、言い回しはShortShortさんの訳の方がわかりやすい。青山先生の完訳と注釈を副読本的に活用すると良いかも。
🇷🇺プーチン大統領が、中世からソ連崩壊までのロシアと中欧の長い歴史と、ウクライナという新国家ができた経緯を語る
— ShortShort News (@ShortShort_News) 2024年2月9日
タッカー・カールソンは、それとウクライナ侵攻には関係があるのかと何回か尋ねる pic.twitter.com/0E842niESW
まず、ロシアの建国は862年と言われているが、それはノブゴロド人がスカンジナビアからリューリック王子を招待した年。そして重要なのは988年にリューリックの曾孫が東方キリスト教を受け入れてルーシで洗礼したこと。
そこからロシアの中央集権国家が形づけられた。
その後、様々な理由からルーシは分裂。分裂したロシア国家は「かつてチンギス・ハーンが築いた帝国」の格好の餌食にとなる。そのような状況下でモスクワを中心にした単一のロシア国家が形成されはじめた。
また、リトアニア大公国とポーランドの統合も行われ、ポーランドはこの地域の人口をポーランド化しようとしていた。そのために「彼らは辺境に住んでいるからウクライナ人であって完全なロシア人ではない」という考えを導入した。
つまりその頃「ウクライナ人」というのは、特定の民族集団を意味するのではなく「辺境に住む人々」等の意味あいしかなかった。
ボフダン・フメリニツキーという男が居た。彼は「現在ウクライナと呼ばれているロシアの土地のこの地域で権力を掌握していたウクライナコサックの軍司令官」だ。
フメリツキーはワルシャワ(ポーランド)に「彼らの権利の尊重」を求める手紙を書いたが拒否された。その後、彼はモスクワに手紙を書いた。内容は「モスクワ皇帝の強力な手に下に置いてほしい」というものだ。(プーチンは公文書としてのこの手紙のコピーを提示した)
これを受け入れるとポーランドと戦争になることがわかっていたロシアはすぐには同意しなかったが、旧ロシア国家の代表機関であるゼムスキー・ソボルが旧ロシア領の一部をモスクワ王国の一部とすることを決定し、それによってポーランドと13年間に及ぶ戦争に突入した。
その戦争の停戦後の和平でキーウを含むドニエプル川の左岸はロシアに譲渡された。その後エカテリーナ大帝の時代にロシアは歴史的な土地のすべて取り戻した。
第一次大戦前、オーストラリア参謀本部は「ウクライナ化」の思想を積極的に推し進めた。その動機は明らかで、潜在的な敵を弱体化させて国境地帯で有利な条件を確保したかったのだ。だから「ポーランドで生まれたその領土の人は本当のロシア人ではなくウクライナという特別な民族集団に属す」という考え方を広めた。
1939年、ポーランドはヒットラーに協力し、ヒットラーはポーランドに同盟を申し入れ、その見返りに「ダンツィヒ回廊」をドイツに返還するよう要求した。第一次大戦後この領土はポーランドに譲渡された。
ここでタッカー・カールソンが「その話今のウクライナに関係あるの?」的な事を言い出して遮ろうとするが、プーチン、歴史講座を続ける。
ポーランドはヒットラーの要求は拒否したがチェコスロバキアの分割には参加した。そしてポーランドはヒットラーを攻撃して第二次世界大戦の開戦に追い込んだ。(1939年9月1日の開戦相手がポーランドだった理由)
この時ソ連は誠実にチェコスロバキアを助けようとしていたが、ポーランドはソ連機がポーランド上空を飛んだが撃ち落とす、と言った。結局、西ウクライナを含むポーランド領土の一部はロシアに与えられることになるのだが。ロシア・ソビエト連邦は大祖国戦争(第二次世界大戦)の勝利によって歴史的な領土を取り戻したのだ。
1922年、ソビエト連邦が樹立されると「ソビエト・ウクライナ」が樹立された。スターリンはそれらの共和国をソ連に含めるように主張した。しかし、レーニンはなぜか「それらの共和国はソ連から脱退する権利がある」とし、そこにいくつかの土地を移譲した。それによって「ウクライナ」と呼ばれたことがない土地までウクライナ・ソビエト共和国の一部となった。(ウクライナとまったく関係のない黒海地域も含まれていた)
ここでまたタッカーが「だったらなんで大統領になってから22年間の間に言わなかったの?」的なことを言って遮ろうとするが、プーチンはスルーして続ける。
大事なことはレーニンがウクライナをそのように建国したことだ。そしてボリシェヴィキがウクライナ化に取り組んでいたこと。
第二次大戦後、ウクライナはそれまでハンガリーとルーマニアに属していた土地の一部を譲り受けた。「ウクライナがスターリンの意のままに形作られた人工的な国家であることを肯定する充分な理由があるわけです」←おぉ、凄い爆弾投下やん●~*
タッカーがここで「ハンガリーは国土を取り戻す権利があるか?」的な質問をし、ついでに「ヴィクトル・オルバン(ハンガリー首相)にウクライナの一部を持って行ってもいいといいましたか?」と詰め寄る。
プーチンの答えは「NEVER」。けれど、ハンガリーの人達がその地に戻りたがっていることは確かだ、とも。そして「興味深い話」を紹介する。
80年代にプーチンはレニングラードからキエフを横断するドライブ旅行に出かけた。キエフから西ウクライナに行った。ベレゴヴォエという町では名前はすべてロシア語とハンガリー語で書かれていた。(ウクライナ語ではない)ある村では家家の横に座っていた男たちは黒いスリーピースのスーツに黒い円筒形の帽子をかぶっていた。「エンターテナーか」と尋ねると「エンターテナーではなくハンガリー人だ」と答えた。
「彼らは、ハンガリー語、ハンガリーの名前、民族衣装すべてを守っている。彼らはハンガリー人であり、自分たちをハンガリー人だと思っている」
以上、動画の約22分(プーチンの言う30秒か1分w)まとめてみた。
ウクライナ応援団というのはウクライナの歴史をどう把握しているのだろうね? レーニンやらスターリンやらが絡んでいるとはちょっと驚きなのだが、彼らのIQには難易度が高過ぎて何も知らんのだろうな。「昔昔ウクライナ帝国という国がありました」とかいう「物語」でもあるのかな? プロパガンダとナラティブには目がないのよ、彼らw
私はウクライナより祖国と伝統を奪われたハンガリーの人達にシンパシーを感じるよ。なんだかイスラエルとパレスチナに通じるものがあるな。
次回第二弾は、ソ連崩壊からウクライナ侵攻に至るまでの約30分の動画。面白いので続編もまとめるよ。すぐには無理かもしれないけど、最後までやります!
ところで、タッカー・カールソンはずっと苦虫を嚙み潰したような顔してたけど、歴史講座はちゃんと聞いてたのかな? それから、これを読むと『カラマーゾフの兄弟』でポーランド人がなかなか酷い描かれ方をしていた理由がわかるね。歴史はやっぱりすべての基礎だと痛感した。