クロノス☆日本の終末時計午後9時45分くらい(随時時刻調整)

2024年4月、日本がまた一歩破滅に向かって踏み込んでしまったようです(-_-;) なので動乱を生き抜く戦略ブログにシフトしてます。

この少女は戦士に成長するのだろうか? 少なくとも魂に刻まれたものが消えることはないだろう。

イスラエルは頭がおかしいのでガザの虐殺をやめるわけがない。バイデンも頭がおかしいので武器の供給をやめるわけがない。

この中でサウジだけが日和りはじめたが… ってことは、ドルが崩壊するかな? (どうせサウジの頭には金勘定しかないだろう)

 

 

さて、Iran Observerさんによると占領地国境は今こんな感じ ↓

 

アメリカが露骨に攻撃してますけど…(#゚Д゚) 

 

これ、大戦突入避けられない気がするのだが。でも、パレスチナに対して世界が何もせずに虐殺を放置している状況を思えば、もうそれでもいいと思ったりもしている。

 

これ以上こんな悲しい話を紡ぐのはやめてほしいんだ。

 

 

以上の状況説明をふまえて以下にヒズボラ関連のストーリーを書こう。

 

私が最初に目にしたのはこのポストだった。

レバノン南部で新婚のカップルがイスラエルの爆撃で殺されたという話。夫はオーストラリアから数日前に到着したばかりだという。これを読んだ段階では「なぜイスラエルが?ヒズボラとの攻防に巻き込まれたのかな?」としか思わなかった。

 

けれど下のポストを目にした時に、Bazziという名前と、この少女に悲しみの中にも毅然とした風格があることが印象深くて調べてみた。

 

 

www.brisbanetimes.com.au

 

上の記事でははっきり把握できなかったのだが、恐らく、Ali Bazziがヒズボラ戦闘員としてイスラエルにリストアップされていて、兄弟であるIbrahim Bazziとその妻も「協力者」として共に殺害対象にされたのだろう。

 

父の柩に別れを告げる少女はAli Bazzi の娘さんだ。

 

私はまだヒズボラのことも、中東のこともよくわかっていない。けれど、娘さんの表情から読み取れるものとヒズボラ戦闘員というキーワードは符号した。

 

今までの私の概念からしたら、子どもは戦闘になんて巻き込まれてはいけないし、子ども達のためにも大人は戦争をしてはいけない。けれど、パレスチナの残酷な虐殺を目の当たりにして、そういった概念や常識なんぞはもはや通用しないということがわかってしまった。

 

戦わなければただただ殺されるという世界がある。世界は誰も助けない。戦わなければ子ども達はなぶり殺しにされる世界で「守ること」がテロと呼ばれる。そして、快楽虐殺をする側が殺す権利を正当化されてそれを支持する大衆すら居る。

 

そんな世界を知ってしまった私には、ヒズボラ戦闘員の遺児に戦う未来しか見いだせない。そして、それが彼女に与えられた天命なのだとすら思う。